前代未聞の反乱!維新の会・徳島県総支部長が「総支部解散→離党」

現代ビジネス


【転載開始】


■前代未聞の反乱!

  維新の会・徳島県総支部長が

 「総支部解散→離党」の顛末を初告白

 2022.03.08


■もうやってられません


 「昨年の衆院選で維新は、議席を大き

く伸ばしました。しかし、党や議員の

実態は大きく違う。もうやってられませ

ん。総支部は解散しました」


 こう話すのは、徳島市議の岡孝治市議

会議員(67歳)だ。

日本維新の会は、昨年10月の衆議院議員

選挙で11議席から41議席へと大躍進した。

岡氏は、日本維新の会徳島県総支部

(徳島維新の会)の幹事長として昨年の

衆院選でも手腕をふるい、

吉田知代衆議院議員(徳島1区)の比例

復活当選に尽力した。


 岡氏が振り返る。

「自民党など既成政党とは違い、なれ合

いの政治から決別というのが石原氏や橋下

氏の政治姿勢でした。その考えに私も共鳴

してやってきた。維新に合流してもそれは

変わらないと考えてきました。しかし、

実際に私が見た光景は、既成政党とそう

変わりがない実態でした。それでもなお、

維新の松井一郎大阪市長という強力な

リーダーについていこうと頑張ってきた

が、もうダメですね」


 この岡氏が、維新の総支部解散という

強硬手段に打って出たのは、昨年の

衆議院選挙がきっかけだ。


 徳島1区は、自民党ベテランで現職の

後藤田正純議員と野党系で無所属の元職・

仁木博文議員の激突する構図だった。

大阪では圧倒的な強さを誇る維新だが、

四国では党組織も脆弱だ。

そこで岡議員と当選3回の黒田達哉市議が

名を連ねる徳島1区に白羽の矢が立ち、

維新から吉田氏を擁立する流れになった。


 「最初に話があったのは、昨年夏くらい

ですかね。馬場幹事長(当時)や井上英孝

衆議院議員から、四国で比例1議席が獲得

できるかもしれないから、小選挙区は徳島

1区で出馬させるかもしれないという話で

した。

 徳島1区では後藤田氏の度重なるスキャン

ダルに有権者の怒りが渦巻いていました。

維新としては自民党に勝って政権交代しな

ければならないので、当然、徳島1区では

仁木氏を支援すべきとずっと活動してきま

した。

 そこで『四国で維新スピリッツを広げる

のであれば、小選挙区よりも、比例区の

候補を探すべきではないか。

しかし党本部からどうしてもというなら、

組織である以上仕方がない。ただし、現状

では徳島にゆかりが深く、縁のある人でな

いと惨敗して供託金没収になるリスクもあ

る』という返事をしました」(岡氏)


■徳島に住民票もなく、街宣車もない


 しばらく連絡がなかったが、昨年10月、

衆議院解散直前に徳島1区の候補が決まった

と維新の党本部から告げられた。吉田知代氏。

祖父母が徳島出身だというが、兵庫県の

丹波篠山市議であり、徳島との縁はいささか

薄い。


 岡氏は抗議したが、党本部の決定には従わ

ざるを得ず、吉田氏の選挙戦をサポートする

ことになった。


 「実際に選挙を戦う段になり、吉田氏が

徳島にやってきました。しかし、やる気が

あるのかと、正直、絶句しました。よく

党本部はこんな人物を擁立したもんだとあ

きれた」と岡氏は語る。


 吉田氏は、徳島1区から出馬するにも

かかわらず、住所はなぜか兵庫県内に置い

たまま、ビジネスホテル暮らしを続けた。

住民票が徳島にないため、選挙事務所も

借りられず、選挙の街宣車もなかった。

見かねた岡氏は、徳島市内の総支部事務所

を選挙事務所とし、日本維新の会の看板を

つけた岡氏名義の街宣車を貸すこととした。


 「『住所も兵庫県のままで、本気で選挙

やるつもりあるのか?』と、吉田氏には

聞きましたよ。日本維新の会として出馬

するのに、選挙事務所も街宣車もないと

いうことでは格好がつきません。党全体の

恥になりかねなかった」(岡氏)


 だが、選挙戦早々、早々にトラブルが

勃発した。

吉田氏が岡氏の許可がないまま、日本維新

の会徳島1区の事務所を総支部に置く登録

をした。

さらに、借り受けた街宣車を事故の危険性

がある使い方をしたという。


 岡氏は吉田氏と話し合いの場をもった。

「街宣車は看板があるため、普通のワン

ボックスカーより1mほど高くなるのに、

扱い方が雑だった。私名義のクルマです

から、事故があってはまずいと使用を禁じ

ました」


 岡氏の吉田氏への疑念は、そんなこと

には留まらなかった。


 岡氏が続ける。

「もともと吉田氏は、祖父母が徳島の出身

ということで選挙にやってきました。私は

徳島市の生まれ育ちなので、地縁血縁で

維新の支持を広げたいと思いましたので、

何度も吉田氏に親戚や祖父母のお墓はどこ

かと聞きました。しかし、吉田氏は『はあ、

あの・・・・・・』というばかり。本当に徳島に

つながりがあったのかと疑念を持ちました。

なんでこんなひどい候補を徳島に送るんや

と、党本部にも怒り心頭の気持ちでした」


■「国会議員も地方議員もフラット」の嘘


 それでも、岡氏は事務所の使用は認めた

うえ、最後まで選挙の支援を続けたという。


 10月31日、衆議院選挙の投開票当日。

徳島1区では早々と、野党系の無所属元職・

仁木氏の当確が決まり、落選した自民党の

後藤田氏も比例復活を決めた。


 当初から比例狙いだった吉田氏の結果は

どうなったか。

維新は全国的に大きく支持を受け、

四国比例ブロックで1議席を得た。


 四国から維新で出馬していたのは、

吉田氏を含めて3人。

惜敗率トップの1人だけが当選することに

なったが、日付がかわってから吉田氏が

惜敗率1位と判明し、当選が決まった。

だが惜敗率は20.1%。吉田氏が獲得した

のは2万65票で、1位の仁木氏は9万9千票

だったから、ぼろ負けと言える。

昨年の衆院選の比例復活当選者では最も

低い数字で、歴代の衆院選でも3番目に

低い惜敗率での当選だった。


 吉田氏は、当選後のインタビューで

「活動期間が短かった。知名度というこ

とで認知が難しかった」と語った。


 岡氏が振り返る。

「吉田氏の当選を受け、いろいろあったも

のの、わが党からの当選ということであり

がたいとは思った。ところが、当選の後、

マスコミの記者から何本も電話が入り、

こう言うのです。

《吉田氏が「郊外に大規模な商業施設を

誘致、公園を作り徳島を発展させたい」と

言っているが、大丈夫か?》

 徳島1区の中心である徳島市は、JR徳島

駅前のビルから百貨店が撤退しています。

郊外ではなく、繁華街の再開発事業が最も

重視されているのが現実です。それなのに

何を言っているのか?

 何も徳島のこと知らない吉田氏とはやっ

ていけないと、匙を投げました」


 今年に入って、岡氏は維新の徳島総支部

を解散し、維新も離党することを決めた。


 岡氏が続ける。

「維新は、国会議員も地方議員もフラット

な政党であったはずです。しかし吉田氏の

擁立劇でわかったのは、国会議員が上から

目線で強引に地方議員を抑え込んで、地元

の事情も精査せず候補を立てている現実で

す。背景には、維新の国会議員同士で続く

激しい主導権争いがあります。徳島1区が

そのダシにされていたのもわかりました。

既存政党と同じ、改革の維新スピリッツは

どこにも感じなくなった。維新が躍進、

支持率アップしているのに総支部解散と

疑問に思う声も届きます。しかし、こんな

ことでは維新に未来はありません」


 徳島総支部の「解散」という前代未聞

の反乱劇は、日本維新の会という政党に、

確かな軋みを生じさせている。


【転載終了】

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 このような内部からの綻びが、維新の

支持率低下となってきているのでしょう

か。


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