資産「ゼロで死ぬ」は本当に幸せか?

MONEY VOICE


【転載開始】


■資産「ゼロで死ぬ」は本当に幸せか?

 大多数の日本人にとって悲惨な結末を招く

 理由

 2024年3月26日

 ほとんどの人は「死んだときにカネが余っていた

らもったいない」と考えなければならないほど余計

なカネを持てない。

資産をゼロにして死ぬことは考えなくてもいい。

むしろ「途中でカネが足りなくなるかもしれない」

ことをリアルに心配すべきなのだ。


■貯金がなから今すぐ死ねと言われているも同然


 日本には1億円以上の資産を持つ富裕層は世帯の

3%弱くらいしかいないのに、そういう日本で

『ゼロで死ね(DIE WITH ZERO 人生が豊かにな

りすぎる究極のルール)』みたいな本が共感され

るのが奇妙な話だと私に話した人がいた。


 『DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる

究極のルール』は、たしかに示唆に富んだ内容で

あると私自身は思う。

年齢によって体験できることが異なるので、若い

頃は体験することに金を使い、

「よぶんな金は生きているうちに使い切れ」とい

うのが本書の趣旨だ。


 莫大な資産を持っている富裕層にとって、これ

は有意義なアドバイスだろう。いくら大金を

持っていても馬馬車のように仕事に追われ、

やりたいことは何一つしないで死ぬよりも、どこ

かで「使う」側に回って人生を謳歌してゼロで

死ねたらバランス感覚として非常に素晴らしい

人生となる。


 しかし、人類の大多数は金銭的に余裕がない。


 日本でも富裕層なんかごく一部であり、大半

は貯金3,000万円以下のマス層である。

若い頃から低賃金で生活に四苦八苦しているし、

中高年になってもやはり生活に追われて四苦八苦

しているし、高齢になったらなったで少ない年金

で四苦八苦している。


 すでにマス層でも、平均年収が186万円の

アンダークラス層は約1,200万人もの規模で増え

ている。

彼らは「今がゼロ」だ。

「ゼロで死ね」と言われても、人生を通して

「貯金ゼロ」か「ほぼゼロ」なのだ。

それで、私の知り合いはこのように言った。


 「ゼロで死ねとか言ってるけど、俺なんて貯金

がないから今すぐ死ねと言われているも同然なん

だよ」


 貧困層に「ゼロで死ね」は机上の空論であるた

しかに、貯金がない人からしたら「ゼロで死ね」

という主張は、非常に残酷な主張であると言える。

「ゼロで死ね」はしょせん金持ちの発想であり、

金持ちへのアドバイスだったのだ。


 65歳以上の日本人の貯蓄額の中央値は

1,677万円だが、月10万円ずつ使っていると、

80歳までにはゼロになる。

そこで都合よく死ねればいいが、

現代は「人生100年時代」である。

「ゼロで死ね」を気取っていると

「ゼロになったがまだ生き残っていた」という

ことになる。


 老いたら金を使わなくなるとも言うが、そう

とも言い切れない。

病院代・薬代で金がかかるし、老人ホームも

タダではない。

快適を望めば望むほど老人ホームもカネがかか

る。

自宅を保有している人も、自分と共に自宅も

老朽化していくわけで、家の修繕にはだいたい

数百万がかかる。


 老いても想定外のカネがかかってくる。

そうなると、それなりにあると思っていたカネ

はあっという間に消えてしまうだろう。


 現実は、「ゼロで死ね」と気取っている場合

ではないのである。


 それに、本当は1,677万円も資産を保有して

いない世帯も多いわけで、資産が少ない人で

あればあるほど生きている途中でゼロどころか

マイナスになってしまうことも十分にあり得る。


 そう考えると、貧困層に「ゼロで死ね」は

机上の空論であり、そんなことよりもいかに

ダウングレードと節約をしなければならないか

に焦点を当てなければならないということに

なる。


 貧困層は「今しかできない豊かな体験」なん

かを味わっている余裕はない。

何とか日々の生活を成り立たせるためにサバイ

バルしなければならないのだ。


■人生を通して一心不乱にカネを貯めておくべ

 きだ


 貧困層にとっては「ゼロで死ね」は決して

最適解にはなり得ない。

いろいろカネがかかって足りなくなるリスクの

ほうが高いので、人生を通して

「いかにゼロから脱するか」を主流にしておか

ないと生き残れない。


 今後、ますます弱肉強食の資本主義になるの

だから、この厳しい時代に生き残るためには

「ゼロではないこと」が重要な意味を為す。

時代が厳しくなればなるほど、

「ゼロではないこと」ことが不測の事態を乗り

越える武器となる。


 そもそも普通の人は、

「死んだときにカネが余っていたらもったいな

い」と考えなければならないほど余計なカネを

持てない。

そういうシチュエーションは考えなくても

いいのだ。

むしろ「途中でカネが足りなくなるかもしれな

い」ことをリアルに心配すべきだ。


 人生は何が起こるのかわからない。

突如として病気になるかもしれない。

事故に遭うかもしれない。

災害に遭うかもしれない。

大地震でいろんな大切なものを失うかもしれな

い。


 生きていると、予期せぬ衝撃的なことがいく

らでも起きる。


 いつ、どれくらいの規模でショッキングな

トラブルに巻き込まれるのかわからないので

あれば、

「とにかく資産は減らさない」という決意が

最後に身を助けることになる。

普通の人は「ギリギリ」の人のほうが多いの

だから当然だ。


 だから、あまり余裕をかましたり、死んだ

ときに資産が余ったらどうしようとか無駄な

ことを考えたりしないで、人生を通して

一心不乱にカネを貯めておくべきだ。

そうしないと、どのみち足りなくなる可能性

が高い。


 死ぬ前日まで資産があって金融的安定を

保っていたほうが、寿命を計算しながらゼロ

にしようとするよりずっといい。


■それは人間心理としても間違っているよう

 に見える


 「資産が減っていく」というのは、精神的

に安定をもたらすのか不安をもたらすのかと

言われれば、誰でも不安になって当然だろう。

死ぬまでに資産をゼロにするというのは、

要するに年齢がいけばいくほど不安が募る

行為をすることになる。


 それは合理的だろうか。

 私自身は、人間心理から見ても合理的である

とは思えない。

体験は大切だと言うが、資産をどんどん食い

つぶしながら得る体験は常に不安と隣り合わせ

となる。


 私自身はバブル世代で若い頃から株式投資を

していたので、実は若くして分相応な資産が

できたりしたが、バブルが崩壊したあとに私は

資産を食いつぶす局面に入ったことがあった。


 月にどれくらい使うのかが分かっていると、

資産がいつゼロになるのかは計算できた。

そのとき、私は東南アジアでいろんな体験を

享受していたが、ではその状況が幸せだったの

かと言われたら、決して幸せではなかった。

資産を食いつぶす局面は、ゼロの結末が見えて

いるだけ不安とストレスしかないのである。


 そういうのを経験しているので、私は死ぬ

までにきれいに資産を使い果たして死ぬよりも、

「死ぬ前日まで資産を切らさない」ほうが

精神的安定のために絶対に良いという確信を

持っている。


 想像を絶する資産がある超富裕層であって

も「死ぬまでにゼロにできたら幸せだ」とは

決して思わないはずだ。

富裕層であればあるほど増えるのは幸せで、

減るのは不幸せだという意識が強いからだ。


 「減るのは不幸せ」というのは人間心理に

即している。

とすれば、弱肉強食の資本主義の中で得る

本当の幸せというのは、死ぬまで資産を増や

しながら無理しないで生きるということでは

ないのか。


 少なくとも「資産をゼロにして死ぬ」こと

は幸せに直結するとは私には思えない。

一見、合理的に見えるのだが、それは人間心理

としても間違っているように見える。


【転載終了】

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 介護は、お金もかかりますが、通院

や食事、入浴などの介助も大変です。


 介護施設やデイサービスは重要です。

直近でも介護補助金の削減が行われて

いますが、施設の経営は苦しく、職員

の賃金カットも行われている現状です。


 身内の介護職も20%も賃金がカット

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事になりそうです。


 ″企業栄えて、民滅ぶ″が現実に・・・


LC=相棒's のじじ~放談!

時事関係や自動車関係などの記事を書いています。

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