外交努力で戦争を回避することはできないのか・・・

永田町の裏を読む


【転載開始】


■外交努力で戦争を回避することは

 できないのか・・・ゼレンスキーには

 3年間の時間があった

 公開日:2022/07/07


 毎日新聞6月29日付「記者の目」欄で

同紙カイロ支局の真野森作記者が、

先輩である伊藤智永専門編集委員の

4日付の論考「ゼレンスキー氏は英雄か」

に噛み付いているが、私の見立てでは

真野が●、伊藤が○である。


 伊藤は、ゼレンスキーが戦争を止める

外交努力を怠り、それゆえにこれだけの

戦争被害を出したことへの政治責任を

免れないと指摘した。

それに対して真野は

「露政府はだまし討ちで全面侵攻を始め

た。最後通告のない奇襲を外交でどう

止められただろうか」と反論しているが、

これは事実を知らぬ者の妄言である。


 2013年11月にキーウで始まった

市民デモは、米国官民の公然たる支援で

たちまち武装反乱に発展、

14年2月親露派の大統領が追放され、

5月に親米派のポロシェンコ大統領が就い

た。

この急激な展開で、ウクライナが一気に

NATO加盟にまで突き進むのではないか

と恐れたロシアは、元々はロシア領で

あり露黒海艦隊の母港セバストーポリを

も抱えるクリミアについては即刻、

露領に編入した。

この時、ウクライナ東部のロシア系市民

の比重の大きいドネツクとルガンスクの

2州でもロシアへの併合を求める動きが

高まったが、プーチンはそれを許さず、

あくまでもウクライナ国家の内で一定の

自治を実現すべきとして、14年9月に

ウクライナ、ロシア、両州の4者による

「ミンスク議定書」を結び、さらに翌年

には仏独も入った「ミンスク議定書2」を

結んだ。


 しかし、ポロシェンコも19年に登場し

たゼレンスキーも、両州に適切な自治を

与える制度を作り出すことができなかった。


 それでも、戦争を回避するにはその道

しかないことを知るマクロン仏大統領と

ショルツ独首相は、今年2月7日から15日

にかけてモスクワとキーウをシャトルし

最後の外交工作を展開した。

が、ゼレンスキーは応ぜず、

だからプーチンは2月24日の開戦宣言演説

「8年間、終わりの見えない長い8年もの間、

私たちは、事態が平和的・政治的手段に

よって解決されるよう、あらゆる手を尽く

してきた。すべては徒労に帰した」と言った

のである。


 だからといって戦争を始めていいことには

ならないが、少なくともゼレンスキーには

就任以来の3年間、外交努力で戦争を回避す

るための時間があったことは事実として踏ま

えておきたい。


【転載終了】

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 私の判定は高野孟氏(ジャーナリスト)

とは逆です。

真野が○、伊藤が●です。

理由は、アメリカの戦略であり、

ゼレンスキーの独断で回避できなかった

と考えています。

NATOも外交努力をしたかったのでしょう

が、米英の思惑が勝ったということでは

ないでしょうか。


 ロシア潰しが中心ではなく、本筋は、

中国の一帯一路潰しなのでは?


 どうも、一帯一路はディープステート

の利益に反するからだろうという事です。

そろそろ、習近平を潰すことが目的とか。


 もう一つ、米国兵器の拡販ですかね?

一石三兆ねらいとか?


 ロシアの軍事立て直しは数年かかり、

ロシア製兵器購入国を西側兵器に置き

換えていくつもりでしょう。

戦争が長引けばロシアは兵器生産がで

きないですし、部品供給もままならな

いでしょう。

自国の兵器補充も出来ないので引退し

た旧式を持ちだす事態では。


 ゼレンスキー演説のシナリオライター

はアメリカかも?


LC=相棒's のじじ~放談!

時事関係や自動車関係などの記事を書いています。

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