北原みのり「セクハラ罪、つくりますか。」
AERA dot.連載「ニッポン スッポンポンNEO」
【転載開始】
■北原みのり「セクハラ罪、つくりますか。」
作家・北原みのり氏の週刊朝日連載
「ニッポンスッポンポンNEO」。
今回は、「男らしさ」について。
* * *
「セクハラ罪という罪はない」と麻生さんは
言い、記者に真意を問われれば「事実を
言っただけ」と開き直った。
要は被害者が司法に訴えてないんだから
罪にはならないんだよ、と。
90年代半ばに誰もが知る某有名企業に
入社した友人は、入社してすぐ、男性社員
が女性社員を後ろから羽交い締めにし、
別の男性社員が女性の胸を触る“ゲーム”
を目の当たりにした。
友人は私に泣きながらその話をしてくれたが、
辞める選択も訴える選択もないと言った。
過酷な就職活動の末に受けとった正社員の
切符は、ただ黙り目をつむることで守るしか
ないと考えたのだ。
私の学生時代。アルバイト先の休憩室で
本を読んでたら、同じ部屋で社員の男たち
が風俗体験談をはじめた。
私が本をパタンと閉じると、「若い女性にしか
できないことだよ。俺だったら働くな」と言って
笑っていた。
しばらくして私はアルバイトを辞めた。
屈辱と暴力は和やかな笑いの中でおきる
こともある。
軽やかな「からかい」、男たちの「お遊び」に
よって女は刺される。
だけど「やめろ」と反撃すれば、いや反撃せず
に嫌な顔しただけでも「楽しんでたくせに」
「被害者意識が強い」と現実をずらされ攻撃
される。
いったいそんな悔しさから無傷の女は、
どれだけいるのだろう。
やはり、セクハラ罪、つくりますか。
この国の「男らしさ」というのを考える。
「男らしさ」を英語でいえば、manlyとmasculine
がある。
マンリーとは、経済力に加え、忍耐や優しさと
いった美徳を兼ね備えた、いわゆるイギリス
紳士を想起させ、マスキュリンは力での支配、
制圧、抑圧といったマッチョをイメージさせる。
では、日本の男の「男らしさ」とは、いったい
何を目指し、どのような存在でありたいのだろう。
マスキュリンな筋肉もなければ、マンリーな優しさ
や経済力を期待することすら難しい。セクハラ
問題が吹き荒れる今を見ていると、この国の
男らしさとは、女に対して傲慢であることの特権、
いつまでも幼稚であることの特権、くらいの意味
のようだ。
セクハラ罪ついでに「男が女にだけ威張り散らす
罪」でもつくりましょうか。
幼稚といえば、元TOKIOの山口氏が46歳と
知り驚いた。
若いというより幼い。
加齢を感じさせてはいけない職業柄なのかも
しれないが、年齢だけみてTOKIOを昭和で言えば、
ダークダックスじゃないのか。
というか4人になった今、まさにダークダックス……
と言っている場合じゃないけど、歌う中年男性
グループといえばダークダックスが浮かぶ世代の
私にとって、70年代に40代のダークダックスと、
今の時代の40代「アイドル」TOKIOの距離が、
あまりに遠い。
それはこの国の幼稚化なのか、「男らしさ」の
質の変化なのか、成熟を嫌う文化の問題なのか。
というか、女の状況はこの40年で、どのくらい
変わったか。少なくとも幼稚に開き直り、セクハラ
の意味も分からない77歳(まじか!)が居座る
ような状況では、変われない。
麻生さんには、引退してほしい。
※週刊朝日 2018年5月25日号
【転載終了】
***********************
「セクハラ罪という罪は存在しない」とか、
「首相夫人である妻の昭恵氏は私人」とか、
あまりにもレベルの低い閣議決定を連発
する閣僚たちの脳内組織は“幼稚園内閣”
なんて揶揄する向きも。
安倍、麻生両氏の失言を正当化する為
だけの閣議決定ですよね。
お友達内閣だから、疑問を持つ閣僚が
いないのでしょうね。
0コメント