安倍は消去的選択で政界へ 石破は田中角栄の一喝が契機に・・・

徹底比較 安倍晋三と石破茂


【転載開始】


■安倍は消去的選択で政界へ

  石破は田中角栄の一喝が契機に

 2018年9月4日


野上

 安倍は特攻隊の生き残りだった父・晋太郎

とは違って、政治家を強く志していたわけでは

ありません。私の取材に「職業政治家への道

をはっきり意識したのは中学の高学年から

高校時代にかけてだった」と話していましたが、

実際は違うでしょうね。学生時代も何をやろう

か迷いあぐねていた。「あまり勉強は好きでは

なかった」と安倍も言っていますが、要するに

勉強が苦手。だから自信がない。進路を決め

る大学3、4年になっても「政治家になる」と

明確な言葉で聞いた仲間はいませんし、

卒業後は米国に語学留学。晋太郎の選挙区

事情もあって神戸製鋼所に“政略就職”して

います。


鈴木

 政治家を目指していない点は石破も同じです。

大学3年の頃に参院議員だった父・二朗に

「政治家になる気はあるか」と聞かれ、「まったく

ありません」と答えている。卒業後は三井銀行

(当時)に入行しました。


野上

 安倍の場合は次男だったことも影響して

います。安倍家は選挙区の後援会も含めて、

2歳年上の兄・寛信が後継という考えでいた。

安倍兄弟は学生時代から選挙を手伝って

きたのですが、社会人になってから寛信が

政治家は嫌だと突っぱねたのです。冬の

選挙応援で風邪をこじらせ、ウイルスが脊髄

に入って3カ月ほど入院生活を送った。

衆人環視の政治家の生活にも耐えられない

と。それで安倍にお鉢が回ってきたというわけ

です。晋太郎が外相就任直後にサラリーマン

を辞めさせられ、秘書官になったことが政界

入りの契機で、いわば消極的選択です。


鈴木

 石破のターニングポイントは、父・二朗をがん

で亡くしたこと。二朗が師事した田中角栄が遺志

をくんで葬儀委員長を務めてくれた。石破が後日

お礼に行くと、「父親の後を継いで政治家になれ」

「君の父親は県知事15年、参院議員7年。君が

後を継がなかったら、これまで応援してくれた

地元の人に申し訳ないと思わないのか!」と迫ら

れた。当時24歳で参院の被選挙権がない。それ

を告げると、「再来年は衆参ダブル選だ! その

ときはおまえも26歳だろう!」と。欠員が出る衆院

選に出馬しろ、と言われたんです。結果的にダブル

選にはなりませんでしたが、三井銀を退職して

角栄の派閥だった木曜クラブ事務局に勤務。二朗

の逝去から5年経った1986年の衆院選で旧鳥取

県全県区(定数4)に初出馬し、28歳の全国最年少

国会議員として最下位でしたが初当選しました。


野上

 安倍は、晋太郎ががんで病床に伏す中、出馬

準備を始めました。晋太郎は67歳で亡くなり、

安倍は当時36歳。2年後の93年7月に臨んだ

弔い合戦は旧山口1区(定数4)に8人が立候補

する大混戦でしたが、後援会がフル稼働し、2位

に約3万票の大差でトップ当選しています。石破

と違ってスタートは野党議員となりましたが。

 (つづく・敬称略)


【転載終了】

***********************


 安倍氏と石破氏は同じような境遇で

政治家への道を歩みだしていますね。


 安倍氏の場合は、長男の政治家転身

があれば、安倍晋三氏の政治家誕生

していなかったのかも?


0コメント

  • 1000 / 1000