「外部説によるコックピットの対話」・・・JAL123便。
Electronic Journal
【転載開始】
■「外部説によるコックピットの対話」(EJ第4846号)
1985年8月12日、JAL123便が羽田空港を
離陸したのは18時12分20秒のことです。
それから12分22秒後の18時24分42秒に
JAL123便の機長は「スコーク77」を宣言します。
その間に何があったのでしようか。
これについて、角田四郎氏は、非常に意欲的で
有意義な試みを行っています。
それは、ボイスレコーダーの記録に加えて、傍証の
ある「推定」と傍証のない「想像」、さらに生存者の
「証言」を加えて、JAL123便のコックピットと機内
および東京進入管制(羽田)と東京管制(所沢)の
やり取りを再現したのです。
とくに何も断っていないのは、ボイスレコーダーの
記録です。
対話者は、C「機長」、O「副操縦士」、F(副操縦士)、
S(スチュワーデス)を表しています。
JAL123便が、18時18分33秒に東京管制から、
シーパーチ直行の許可をもらった後から、
「スコーク77」までのやり取りを角田四郎氏の本から
転載します。
◎18分33秒:(東京管制)日航123便、現在位置
からシパーチ(非義務位置通過点)に直行すること
を許可する。
◎18分38秒:了解、現在位置から直行する。
「推定」ベルトサイン、オフ。スチュワーデスは、
子供客にサマーキャンペーンのぬいぐるみ人形を
配り始める。小川哲夫氏は右通路より機外を撮影。
高度1500フィート。
◎22分頃:「証言」川上慶子さん、咲子ちゃん、
スチュワーデスから人形をもらう。落合由美さん
雑誌を読む。「推定」高度20000フィートに達す。
◎23分頃:「想像」(O)機長!前方右45度に不明機
発見。
(C)どこだ!なんだあれ!調べて、早く。(O)はい。
◎23分頃:(C)距離は?近いの、小さいの。
(O)小さいですね。何でしょうあれ!(F)わかりま
せん。
◎23分頃:(F)あー!こっちに近づいてきますよ。
(C)ベルト・オン!(F)はい。(C)なんだ、あいつ!
調べて。レーダー?
◎23分××秒:ピン・ポーン(音)。(S)ただいまベルト
サインがつきました。もう一度ベルトをして下さいませ。
(客)すみません、トイレに急いで行きたいですが、
ダメですか。(S)ちょっとお待ちください。
◎24分10秒:「想像」(F)はい、なんですか。(S)お客
様でトイレに行き・・・・。(F)レーダーには映りません。
(C)なんなの、調べて、よく見て!(O)はい。
◎24分12秒:(S)・・たいとおっしゃる方がいらっしゃる
んですが、よろしいでしょうか。
◎24分15秒:(O)気をつけて。(F)じゃ気をつけて
お願いします。(O)手早く。(F)気をつけてください。
(S)はい、ありがとうございます。
「想像」操縦室全員、緊張して前方を凝視。
正体不明の小型飛行物体は、右10度に接近中、
高度約23000フィートと日航機とほぼ同じ。
進行方向、西南西。速度不明。ぐんぐん近くなる。
◎24分34秒:ドーン、ビー・ビー・ビー。
◎24分38秒:「想像」(F)だめ!やられた。
◎24分39秒:「想像」(C)なんかわかったの?なんか、
あたったぞ?
◎24分42秒:(C)スコーク77
──角田四郎著『疑惑/JAL123便墜落事故
/このままでは520柱は瞑れない』/早稲田出版
ひとつのポイントは、羽田空港離陸後、どこでベルト
サインがオフになったかです。
通常離陸後8分~10分で消えるのが正常です。
ボイスレコーダー(筆記録)上では確認できないのです。
角田氏がベルトサインオフを18分38秒頃と推定した
のは、生存者の川上慶子さん(当時12歳)の証言で、
スチュワーデスから、ぬいぐるみをもらったのが、
そのぐらいの時間だったからです。
当然のことですが、スチュワーデスがサービスをはじ
めるのは、ベルトサインがオフになってからです。
このとき、川上慶子さんは、母親に妹のもらった人形
の方がいいといったところ、母親にたしなめられたと
いっています。
その約5分後の23分になって、ベルト・オンになってい
ます。
コックピットでは、正体不明の飛翔体が123便に迫って
くるのを発見し、ベルト・オンのサインを出しています。
機長は、衝突の危険を察知して、事前にベルト・オンを
指示したのです。
もし、垂直尾翼破壊の原因が、急減圧による後部圧力
隔壁破壊であるとするならば、機長が事前にそれに
気がついて、ベルト・オンのサインは出せないはずです。
したがって、事故の原因は内部説ではなく、外部説に
ならざるを得ないのです。
上記のやり取りは、いくつかの「想像」や「推定」部分
を含むとはいえ、矛盾なく、ぴったりと収まっており、
外部説──謎の飛翔体の衝突による垂直尾翼破壊説
を説得力を持って裏づけるものです。
ここに事故調が、生のボイスレコーダーを最後まで公開
せず、筆記録しか公開しなかった理由があります。
おそらく音声による生のボイスレコーダーを公開すると、
そこに誰でも外部説を裏づける決定的な証拠が収録
されているからでしょう。
だからこそ、ボイスレコーダーを筆記録にしたのです。
筆記録であれば、都合の悪い部分は自由にカット
できますし、音の高さとか、衝撃さとか、声の調子など
から感じとることができる緊迫感などを誤魔化すことが
できるからです。
それに、おそらく事故の関係者ではない一般の人々は、
ボイスレコーダーがまだ公開されておらず、事故調の
作成した筆記録に過ぎないことを知らないと思います。
その生のボイスレコーダーは、現在日航が保管して
いるはずです。
なぜ、公開しないのでしょうか。
──[日航機123便墜落の真相/016]
≪画像および関連情報≫
●日航機事故から29年・フジテレビ特番を見て
/2014
単独機の事故としては世界最悪の520人が犠牲と
なった1985年8月のJAL123便便墜落事故から
29年が経過した(2014年の記事)。月日の流れの
速さを改めて感じるが、私の脳裏に焼き付いたあの
むごたらしい酷暑の夏の記憶は今なお決して薄れる
ことはない。
「御巣鷹の尾根」は今なお私、そして安全問題研究会
の原点だ。
ところで、今年の8月12日は、いつもの年と少しばか
り違った。
フジテレビ系列の全国放送として、特別番組「8・12、
日航機墜落30回目の夏~生存者が今明かす“32分
間の闘い”ボイスレコーダーの“新たな声”」が放送
されたからだ。(中略)
だが、同時に私は、事故というより「事件」と呼ぶほう
が適切かもしれない「御巣鷹の真相」は、おそらくこの
番組でも明かされることはないだろうと思っていた。
なにより30年近い歳月は短いようで長い。
当時を知る関係者も少なくなり、遺族ですら高齢化で
険しい御巣鷹の尾根への慰霊登山を断念する人が
毎年増え続ける現実がある。今頃になって新事
実が飛び出すくらいなら、とっくの昔に出ていて不思議
はないし、圧力隔壁崩壊説に疑問を抱く人なんて、
日本全国に今なお数万人単位で存在する。
ミサイル撃墜説、自衛隊「無人標的機」衝突説を初め
として、この間、ありとあらゆる言説が流されてきた。
この事故のことを卒業論文のテーマにしようと考えた
学生が教授に相談したところ「君の命が危ない。悪い
ことは言わないからやめなさい」と言われた。
https://bit.ly/2NP6obc
【転載終了】
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当時、ミサイルでの撃墜説がネットで流れて
いた記憶がある人は多いでしょう。
真っ先に自衛隊が現場に入ったのも疑惑の
要因でもあり、証拠隠滅を図ったという疑惑
さえありました。
しかし、よくこんなボイスレコーダーの記録が
でてきましたよね。
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