薩長史観にからめ捕られた「明治150年」安倍政権の危うさ・・・
永田町の裏を読む
【転載開始】
■薩長史観にからめ捕られた
「明治150年」安倍政権の危うさ
公開日:2018/10/25
安倍晋三首相が23日午前に東京・ 憲政記念館
での「明治150年記念」 の政府式典に出て、
その後に北京に向かい
「日中平和友好条約40周年記念」の 日中首脳会談
に臨むというのは、 歴史の皮肉な巡り合わせという
ほかない。
安倍政権の明治150年の迎え方の 基本は、
「明治の精神に学び、日本の強みを再認識する
ことは大変重要」 (内閣府ホームページ)と
いうもので、 明治以降のこの国の歩みをノーテンキ
なほど肯定的に捉えて、それを「日本の強み」に
自信を深めるバネにしようとしている。
しかし、その150年を中国はじめアジアの側
から見れば、日本に侵略 されての傷跡が今なお
癒えないでいる惨憺たる時代である。
それを何とかしなければいけないということで
日中国交が正常化されて46年、さらに平和友好
条約を結んで40年も経ったのに、いまだに両国
はまともな隣人関係を築くことができないでいる。
そもそも「明治の精神」とは何か。
私に言わせれば、薩長中心政府の野蛮な国権主義
と対外拡張主義に よる「大日本主義」のことである。
その代表的なイデオローグである吉田松陰は
「北海道を開墾し、隙に乗じてカムチャツカ、
オホーツクを奪い、琉球にもよく言い聞かせて
幕府に参勤させ るべき。また朝鮮を攻めて古代の
昔 のように日本に従わせ、北は満州から南は台湾・
ルソンの諸島まで一手に収め、次第次第に進取の
勢を示すべき」
(「幽囚録」、著作集=講談社学術 文庫所収)
といっていた。
1869年北海道併合、79年琉球併合、95年台湾
併合、1910年 朝鮮併合…と、薩長政府はそこに
書いてあることをほとんどその通りに行い、
中国からさらに南進して ルソン島まで攻めていって
自滅した。
戦後になって日本人はその大日本主義の罪をきちん
と総括して歩み始めなければならなかったが、
それがどうもうまくできないのは、松陰の侵略主義の
流れを引く岸信介、佐藤栄作、安倍晋三らが長く政権
を支配して、薩長史観によって歴史の真実を覆い隠し
てきたからでは ないか。
明治150年が安倍の歪んだ視点にからめ捕られ、
再びこの国が大日本主義の道を暴走して、
中国はじめアジアに禍をもたらすきっかけとなら
ないようにしなければ ならない。
【転載終了】
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安倍首相になり、長州の「吉田松陰」、 薩摩の
「西郷どん」が大河に取り上げ られています。
ただ、「赤穂浪士」もそうですが、テレビ用に
美談に仕上げられているようです。
薩長同盟の明治政府は、後に大日本帝国 として、
第二次世界大戦へと繋がっていくことになったと
いわれてます。
最近分かってきたことは、イギリス(薩長)と
フランス(江戸幕府)の日本侵略の代理戦争をして
いたということのようです。
因みに、イギリスからの薩長への軍資金は、
今の金額に換算して50億円あまりだとか。
詳しくは、イギリスの史実書に記されている
ということのようです。
ところで、天皇陛下が150年記念式典に
参加していなかったのは、宮内庁によると、
「政府にお招きをされなかった」ためだそう
です。
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