この選挙は民権主義と国権主義の戦い・・・
日刊ゲンダイDIGITAL
【転載開始】
永田町を読むより
■新党誕生でハッキリ この選挙は民権主義と国権主義の戦い
2017年10月12日
枝野幸男が立憲民主党を創建して、
「リベラル派の受け皿ができてよかった!」と
喜んでいる人が多い。
前原誠司による民進解体・希望合流劇は、
脚本がずさん、演出も下手くそで観客を
シラケさせてしまったが、その思いもよらない
副産物として、より“純化”されたリベラル新党が
誕生したことの意義は大きい。
状況は二十数年前と似ている。
自社さ政権に対抗して214人を抱える巨大野党と
なる新進党が結成され、マスコミはさかんに
「保守2大政党制の時代」と囃し立てた。
が、鳩山由紀夫、横路孝弘らは
「2大政党というなら保守対リベラルだろう」と
言い出して、旧民主党を立ち上げ、
96年秋の最初の総選挙で52人を得た。
どうせ自民と新進のはざまに埋没してしまうだろうと
見る人が多かったが、当時、私は
「旧保守に対する新保守という小沢一郎のコンセプト
は筋が悪すぎる。小なりといえども民主がリベラルの
旗を掲げて打って出たことで、必ず新進が壊れて民主
が政権交代を狙う勢力になる」と唱え、
その通りになった。
政治には「筋」が大事で、ブレずに筋を通した人たちが
持つ爽快感こそ有権者を惹き付けるのである。
さて、立憲民主党ができて、改めて「リベラル」とは
何かがあちこちで論じられている。
私は、リベラルあるいはリベラリズムには「心構え」と
「政治思想」という2つの側面があるという説に賛成で、
前者は、自分は間違っているかもしれないと思う
自己相対化、異論の許容と熟議の重視、
つまり寛容さのことである。
後者は、左翼とは違って個人の自由を尊重しそれを
保障するような社会や経済のあり方を求めるという
意味だとされる。
山口二郎法政大学教授は8日付東京新聞のコラムで、
日本政治におけるリベラルの源流は、
戦前に軍部を恐れず戦争と独裁に反対した石橋湛山
だと指摘しているが、もう少し物差しを伸ばせば、
明治早々からの自由民権思想から大正デモクラシーを
経て昭和に活躍する湛山らにつながる滔々たる流れがある。
考えてみると、近代日本の政治は結局のところ、
民権と国権――人民が自ら立って下から多様性ある社会を
編成していこうとする民権主義と、権力者が権限を振るって
上から統合を強制しようとする国権主義との抗争の歴史
だった。
この総選挙もまたその両者の戦いなのである。
【転載終了】
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小池新党が失速したのは、小池氏の失言もありますが、
“何ら自民党と変わらない”ということに、
有権者が気付いたからではないでしょうか?
「自・希・維の保守vs立・社・共のリベラル」
という文中にあるような構図でしょう。
共産党は、中国のような“共産主義”ではなく、
リベラルに入れておいてもいいと思います。
(共産党がどう考えているかは分かりませんが)
共産党を毛嫌いしている方の中には、
いまだに「財産を没収して国が分配する」と
反共宣伝を信じているのではないでしょうかね。
日本のマスコミは、いまだに「大翼賛体制」
から脱却できていないのかもしれませんね?
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