外国人同士が「目配せ」する、日本人には言いづらい「本音」
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【転載開始】
■外国人同士が「目配せ」する、日本人には
言いづらい「本音」
2022年01月14日
<日本が好きで日本に住んでいる外国人が、
実は共通して経験している「小さな生きづらさ」
の積み重ねと悲しい思い>
私は年末年始の休みを都内で静かに過ごし、
毎日長めの散歩をしていた。
散歩は私の趣味で、東京は最適な場所だ。
最新の都市開発地や高層ビルの間に、古い民家
や商店、神社仏閣がポツンと残っていたりして
面白い。
そうやって散歩をしていると、外国人の住民
とすれ違うことがある。
そういうときはほんの一瞬短い挨拶をする。
言葉は交わさず立ち止まりもしない、歩みも
緩めない。
すれ違いざまにただ目線を合わせて小さく
ニコッとしたり、軽くうなずいたりするだけだ。
一緒に散歩している妻は毎回「ソレ何なの」
とあきれているが、あの0.5秒ほどの挨拶とも
いえない挨拶には、外国人同士の互いへの同情
と同調がたくさん込められている。
短く言えば「ここ(日本)に住むといろいろ
あるよね」という感情の共有である。
外国人や外国暮らしが長かった日本人が日本
の生活で感じる違和感、生きにくさ、
制度の問題点や行政の対応のまずさは、日本で
しか暮らしたことのない日本人には理解でき
ないところがある。
例えば、私は役所に住民票をもらいに行く
たびに、日本国籍を持っているにもかかわらず
「外国人登録証を見せて」と言われる。
日本人から言わせるとこれは「日本人になった
外国人が少ないのだから仕方がない」のだが、
私はウンザリするし傷つきもする。
■コミュニティーの一員ではない?
買い物に行っても、店員は連れの日本人の
ほうばかりを向いて話をして私のほうは見よう
としない。
これも日本人にとっては「日本語をよく理解
しない外国人が多いから」なのだろうが、
私はとても嫌な気分になるし見た目の違いだけ
で永遠にガイジン扱いなんだなと悲しくなる。
このように外国人が日本で感じる「生きづら
さ」は、案外そういうことの積み重ねであった
りする。
それは小さなことなのだが、毎日何かしら同様
のことが続くと、自分がコミュニティーの一員
であると感じられなくなってくる。
数年前からビジネス界では「外国人雇用」が
はやっていて、このテーマを掲げたセミナーや
フォーラムがコロナ禍でもたくさん開かれて
いる。
興味深いことに講師や登壇者はほとんど日本人
で、外国人はほんのおまけ程度にしか参加して
いない。
つまり日本に暮らす日本人同士が熱心に
「外国人と働くにはどうしたらいいのか」を
話し合っているわけで、これは外国人から見る
となかなか奇妙である。
学校からいじめをなくすための対策会議に
いじめられた生徒の意見を取り入れなかったり、
女性活躍推進のための会議に女性を入れな
かったりといったことと同じ図式だ。
これで本当に効果のある対策を立て、必要な
スキルを共有できるのだろうか?
こういった話をすると必ず「日本は日本人
のものだ、日本人が決定して当然」という批判
を受ける。
それは至極もっともである。
私は何も外国人の参政権を求めているわけでも、
日本文化の否定をしているわけでもない。
日本が本当に外国人にとっても生きやすく働き
やすい社会を目指すならば、外国人の目線に
立った対策が絶対に必要だと言っているので
ある。
外国人が日常生活で感じる多くの問題は、
日本人から見れば些細なことなのかもしれない。
しかし、日本に暮らす外国人の多くは日本が
大好きである一方、同時に日本社会についての
不満やクレームを表に出さないように気を
配って生きている。
それは言っても無駄であり、自分が嫌われて
生きづらくなるだけだと感じているからだ。
すれ違いざまの外国人同士の短いサインの
交換に込められている、外国人の本音を聞か
ないことには、外国人の住みやすい日本には
ならない。
【転載終了】
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日本には、横文字コンプレックス
が、まだまだ残っているのかも知れ
ないですね。
日本特有の文化もあるからですかね。
「忖度」とか「本音と建て前」とか。
最も、「忖度」は本来、気持ちを
汲むと言うよい意味でしたが、最近で
は悪い意味の言葉になってしまいまし
たが。
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