プーチン大統領はウクライナの「心臓部」を焼き尽くすのをためらった?
ウラジーミル・プーチンとは何者か
【転載開始】
■プーチン大統領はウクライナの「心臓部」
を焼き尽くすのをためらった?
公開日:2022/06/10
ウクライナ侵攻を振り返ると、不思議
なことがいくつもある。
例えば、ロシア軍は遠方に控えた艦艇や
爆撃機から巡航ミサイルで攻撃しながら、
首都キーウ中心部を狙うことは比較的
少なかった。
周辺に当たる北部キーウ州で集団殺害と
みられる「戦争犯罪」はあったが、
プーチン大統領は国の「心臓部」を焼き
尽くすことをためらっていた気もする。
■狙われない場所
彼が第2次大戦と勝手に重ね合わせ、
欧米に傾斜する政権を「ナチス」呼ばわ
りして都合良く排除しようとした戦争。
2月下旬の侵攻当初、各地での一斉攻撃と
共に、大統領府のあるキーウ中心部でも
銃声が聞こえたという。
報道によると、暗殺部隊による
「斬首作戦」は試みられたようだが、
結果的に失敗に終わっている。
英軍特殊部隊が厳重に守り、
ゼレンスキー大統領本人にも護身用に銃
が渡されるほど事態は緊迫したとされる。
キーウでは実際、テレビ塔など重要施設
も標的となったが、逆に絶対に狙われない
だろう場所もある(ロシア大使館は除く)。
現地でラウラ(大修道院)と呼ばれる
世界遺産「キーウ洞窟大修道院」だ。
ロシア正教会の影響下にあるウクライナ
正教会(モスクワ総主教庁系)が根を下ろ
し、今や「ウクライナ化すべき」との議論
もある。
988年に東スラブ民族で初めてキリスト
教を受容したキーウ公国時代、1051年に
創建されたというから驚き。
ドニエプル川のほとりの斜面にきらびや
かな聖堂がひしめき、筆者がかつて足を
運んだ博物館にはスキタイ
(黒海北岸の遊牧騎馬民族)の金製品も
収蔵されていた。
そして文字通り洞窟がある。
内部には悠久の時を経た聖人の遺骸
(ミイラ)がずらりと安置されていた。
一応、信徒ルートと観光客ルートに分か
れているが、どちらを通ってしまったの
だろう。
■レーニン廟につながる伝統
共産主義は「神なきキリスト教」──。
洞窟での経験を思い出す時、この言葉が頭
をよぎる。
理想は他でもないキリスト教世界で生まれ
た。
神の前の「平等」を、神なしに実現する
試みだったとみることもできるだろう。
信徒には叱られそうだが、無神論のはず
のソ連がなぜ革命家レーニンの遺骸を廟
に残そうと思ったかが、キーウに行って
自分なりに理解できた。
いまや「第3のローマ」を自称する
モスクワを1147年に築いたのは、
ユーリー・ドルゴルーキー。
その埋葬地はキーウ洞窟大修道院の北隣
とされている。
プーチンがラウラを訪れたのは、
ウクライナ危機前の2013年7月が最後だ。
(文=平岩貴比古/
時事通信社前モスクワ特派員)
【転載終了】
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キーウには、イギリスのSASが空港
などを守っていたという情報もありま
すね。
ゼレンスキー斬首作戦にスペツナズ
(露軍特殊任務部隊)が投入されたよ
うですが、”アカデミ”というアメリカ
の傭兵部隊が全滅させたようです。
部分的には欧米が武器だけではなく、
部隊も派遣していたという事ですか。
SASは世界最強の特殊部隊と言われて
いたように思いますが?
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