徹底比較 安倍晋三と石破茂 第六弾。
徹底比較 安倍晋三と石破茂 第六弾。
【転載開始】
■石破の支援者は地方組織
安倍は政権基盤強化のため右旋回
2018年9月8日
鈴木
石破の支援者といえば、まずは地元の鳥取。
父・二朗が県知事を長くやっていたので、
支援者はその時代から引き継いでいて熱狂的
です。
野上
まあ、政治家は選挙区の後ろ盾があってこそ
ですから、東京生まれの東京育ちの安倍で
あっても、それなりの地元の支持は当然あります
が、「支援者」と言うなら、日本会議に代表される
ような右寄りの人たちと、一部の芸能人も入って
いることが異色ですかね。先日も俳優の津川雅彦
が死去した際には、安倍はフェイスブックなどに
熱心に追悼メッセージを投稿していましたよね。
鈴木
あとは石破の場合、全国の地方組織も支援者
と言えるかもしれません。2009年に自民党が
下野した後、石破は政調会長だった。その時代に、
全国を回っているんです。選挙応援も、町長選挙
のような小さな選挙も含め、要請があればどんな
選挙でも行っていた。野党だから時間はたっぷり
あるわけですよ。もう一度、自民党を立て直すに
はどうしたらいいか、ということも考えて、石破は
とにかく地方を回っていた。そうすると、地方組織
はこんなところまでよく来てくれた、となって。
石破は与党に返り咲いて幹事長になった後も、
地方回りを続けていました。
野上
非自民連立政権誕生時の1993年に初当選し、
野党議員として政界入りした安倍は、順風満帆
とは言い難かった。例えば、若手厚労族の
登竜門である党の社会部会長時には、
「介護保険制度」の導入問題でベテラン議員を
コントロールできず、厳しい評価を受けるなど、
森喜朗政権で官房副長官に抜擢されるまでは
目立つ議員ではありませんでした。その後は、
幹事長、官房長官とスピード出世し、首相に
上り詰めたものの、第1次政権が体調不良から
短命に終わったことは周知の通りです。安倍再
登板は「まさか」でしたが、本人にとっても「まさか」
の12年総裁選の勝利が安倍をして面かじいっぱい
に右に切り始める大きな転機になったのではないで
しょうか。
鈴木
右の支持基盤に頼るという?
野上
そう、石破との決選投票が9ポイント強の小差
勝利だったことで政権基盤の強化、特に揺るぎ
ないその「支柱」づくりに迫られたわけです。で、
周辺によれば、頼りとなる“即戦力”は祖父・岸信介
ともつながる右系列の勢力しかないとして、自民党
を右旋回へ持って行くことになったといいます。
鈴木
石破が地方回りを始めたのは野党の時代からと
言いましたが、苦しい時に傍らにいるかどうかという
のは、その後の人間関係にとって非常に大きい。
それに、石破が応援に呼ばれる選挙は、自民党に
とって厳しい選挙なんです。必ず勝てるというのでは
ないから、負けたりするんですが、そんな選挙にも
石破さんは来てくれたというのが党員の心に残る。
苦しい時に地方を回っていた。負ける選挙でも応援
に来てくれた。そういうことが地方組織の信頼に
つながっている。だから、総裁選でも石破は地方票
で強いといわれるわけです。
(つづく・敬称略)
【転載終了】
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政治評論家による対談形式ですが、
安倍首相の幼少期の話が教育係だった
方からも出てくるのは画期的です。
何弾まで続くのかわかりませんが、
最後まで配信したいと思います。
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