「介護はプロに任せる」という答え!
Business Journal
【転載終了】
■母の介護で泥沼だった私が、
母を施設に入れて見つけた
「介護はプロに任せる」という答え
二十数年前、俳優の北大路欣也
がバッシングを受けたことがある。
高齢の両親を千葉・館山にあ る
施設に入所させたことが心ない
行為といわれたのだ。
確執のあった姉の一方的な意見が
独り歩きしてしまったようだが、
「お金があるのだから、人を雇え
ば 自宅介護もできるのではないか」
みたいな意見もあり、世論的には、
往年の大スターだった父・ 市川歌右衛門
を姥捨て山のように捨てたという見方
が少なくなかったと記憶している。
当時はまだ、介護を強いられる家族が
どんなに大変であるか、一般的にはあまり
知られておらず、親や配偶者の世話は家族
が愛情を持って行うのが当然という認識
が強かった。
近年は大介護時代を迎え、施設に入所
させることに世間的には抵抗がなくなって
きている。
しかし、家族にとって心理的ハードル
はまだそんなに低くはない。
■「施設=見捨てる」という罪悪感に
苛まれる家族
「おかあさんを施設に入れたほうが
いいんじゃないですか」
私は、母のかかりつけの医師から助言
を受けた。
「僕は大好きな叔母が壊れていくの
を見ている。だから、施設には早めに
入れたほうがいいと思っています。
特別養護老人ホームは待機者が多い
ので、申し込みだけでもしたほうが
いいですよ」
そう言われても、申し込みをする決心
がつかなかった。
施設はどうしようもなくなったときの
最後の砦だと思っていたからだ。
私の母は父のDVによる後遺症が
ひどく、心療内科医から人格障害と
いう診断を受けるほど性格がゆがみ、
情緒不安定、被害妄想などのため、
娘としては相当苦労した。
だから、決して
「大好きな母のための恩返し」 思って
介護をしていたわけではない。
そんな私でも、施設に入れることは、
親を見捨てるような抵抗感があり、
申し込みを決心するまでに2年か
かった。
被害妄想がさらにひどくなっていった
母は、家族を悪者にして吹聴するよう
になっていた。
その事実に衝撃を受け、胸をえぐられ
ながらも、その母の介護は待ったなし
に私にのしかかる。
そんな泥沼から抜け出すための保証が
ほしい。
藁にもすがる思いで、私は入所申込書
を書くことにしたのだった。
その2年後、母の入所が決まった。
そのときの私は不思議にもうれしい
どころか、「えっ、どうしよう」と当惑
した。
いざ施設入所が現実になると、にわかに
母を見捨てるような罪悪感が襲ってきた
のだ。
とはいうものの、少し落ち着くと、やはり
順番がまわってきたことはありがたかった。
施設への引っ越しを終え、私が帰ろうと
すると、「私も帰る」と母が言い出した。
「私はいつまでここに居ればいいの?」と
聞く。
私は罪悪感でいっぱいになりながらも、
「また、すぐ来るから」とごまかして母の
もとをあとにする。
その後も3カ月間くらいは、母のところに
行くたびに、「私も帰る」と訴えられた。
■介護をプロに任せて、家族は家族にしか
できないことを
母が入所した施設にはデイサービス 施設が
併設されていたが、制度上、特養の入所者は
デイサービスを利用することはできない。
月1回くらいはイベントがあるのだが、 施設
が提供できるのは、飲食や入浴など生活上の
サービスに限定される。
家族が連れ出さない限り、外出もできない のだ。
それでは母が退屈するだろうと思い、
散歩に連れ出すのが私の仕事となった。
車椅子を押して近くの沼畔を歩き、道の駅で
買い物をしてから、行きつけの喫茶店でお茶
を飲む。
2時間あまりの娘との時間を母はとても喜ん
でくれた。
24時間一緒に居たときには思うようになら
ないストレスを娘にぶつけてきた母も、
娘の来訪を心待ちにするようになったのだった。
次には介護タクシーを使って、少し遠出を
することを思いついた。
車で30分ほど行った紅葉の名所の美しさに、
母は子どものように喜んでくれた。
自宅介護をしていたときには、散歩に連れ出す
余裕もなかった私がこんなことを思いついたのは、
気持ちにゆとりができたからだ。
施設不足、介護人材不足など物理的な問題は
少なからずある。
それとは別の見方として、
「家族が介護をするのは愛情の証」というような
縛りからは解放されるべきではない だろうか。
特養には2年ぐらい待機することを想定して、
申し込みが可能な要介護3になった時点で申し
込んだほうがいい。
介護放棄とは違う意味で、
「介護はプロに任せたほうがいい」という価値観
が少しでも広がれば、介護者が追いつめられる
事態を減らすことができる のだと思う。
介護で泥沼状態にいたとき、私は人から
情報を得て、毎月10日間くらい母をショート
ステイに預けることにした。
おそらく介護者が仕事を持っているという
事情で、そのくらいの日数が認められた
のではないかと思う。
特養への入所は狭き門だが、ショートステイ は
きちんと予約すれば利用しやすい。
そのおかげで、泥沼から片足半分くらいは抜け出す
ことができた。
在宅介護中は、通所介護、訪問看護、訪問リハビリ
など最大限プロの力を頼った。
介護はできるだけプロに任せて、家族は家族に
しかできないことをやればいい。
それは、自宅介護が終わってから気づいた とだ。
16年間の介護を経験した者の答えとして、
ここに記したい。
(文=林美保子/フリーライター)
【転載開始】
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介護は経験した者でしか分からない。
年を取ると、重い通りに体が動かない
ので、ついつい愚痴や家族にあたる。
介護している者も、ストレスがたまり、
ついついきつい言葉もぶつける。
介護に関して(施設入所)バッシング
する人は経験がないか、他の家族に介護を
依存している人だろう。
施設の存在は、介護による共倒れを回避
する最後の砦です。
皆さんはご存知にだろうか?
この15年で「介護殺人が900件以上」
発生していることを。
一説には、2週間に1件発生しているとも。
2007年から2015年の9年間に「介護・看病疲れ」
を動機とした自殺者数 は2,515人もいるそうです。
それだけ、介護は過酷です。
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