「平成」の改革バカ騒ぎが行き着いた“安倍政権”という悪夢!
それでもバカとは戦え
【転載開始】
■「平成」の改革バカ騒ぎが行き着いた
“安倍政権”という悪夢
公開日:2019/01/05
先日、書店に行ったら、
「頭に来てもアホとは戦うな!」という
本が平積みになっていた。
たしかにアホと戦うのは面倒だ。
議論して勝ったところで連中は改心
しないし、逆恨みされるだけ。
時間の無駄だし、ストレスの原因にも
なる。
合理的に考える人間はアホとは戦わ
ないと思う。
しかし、それでも戦っている人たち
がいる。
合理より大切なものがあると考えるから
だろう。
バカを放置するのか、それとも戦う
のか。
多くの人が同じような悩みを抱えてきた。
ドイツの哲学者
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェが
書いた「ツァラトゥストラ」もそういう話だ。
賢者ツァラトゥストラは、バカに説教しても
無駄だと俗世に呆れ果て隠遁する。
しかし、それでも人間の可能性を捨てきれず、
再び語りだす。
そこにあるのは人間愛・人類愛だ。
守りたいもの、愛するものを持っている
人間は戦う。
それはニヒリストが考えるようなカネで
換算できる価値ではない。
程度の差こそあれ、
人間の営みとはそのようなものだと思う。
自宅の前にゴミが落ちていたら、
ほうきとちり取りで掃除をする。
放っておけば風で吹き飛んでいくかも
しれないし、誰かが片付けるかもしれない。
掃除したところで時間がたてばまたゴミが
増えていく。
それでも掃除をする。
これも日々の生活に対する愛だ。
バカと戦ったところで、バカがいなく
なる わけではない。
社会のダニを批判したところで、
日本がよくなる保証もない。
それでも、目の前にあるゴミは片付けなければ
ならない。
あくまでイメージだが、
歯の隙間に橋下徹が挟まっていたら嫌だろう。
つまようじや歯ブラシでかき出そうとする。
ハエが飛んでいたら殺虫スプレーを シューッ
とするし、ゴキブリがいたら新聞紙を丸めて
叩き潰す。
そこでは行為と目的は一致している。
ニーチェは、現代は
「排泄する力をもはやもたない一つの社会」
(「権力への意志」)だと言った。
排泄物をため込めば、今のようなクソまみれ
の社会になる。
国家の解体はすでに最終段階に入った。
平成の30年にわたる「改革」のバカ騒ぎが
安倍政権という悪夢に行き着いたのだとしたら、
たとえ手遅れであったとしても、
事なかれ主義と「大人の態度」を投げ捨て、
バカとは戦わなければならない。
これは人間の尊厳に対する義務なのだ。
【転載終了】
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昨年、「バカがバカを支持すると国が滅ぶ」
と言い放った、作家の適菜収氏が新年早々、
また吠えましたね。
いや~!過激な方です。
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