「令和」大元は中国古典・・・
LITERA
【転載開始】
「令和」大元は中国古典で
作者は安倍政権そっくりの腐敗を告発
(抜粋)
■安倍首相は自分への皮肉が込められた
元号を知らずに自慢していた!
いや、それだけではない。
ネット上ではいま、「令和」の
大元が張衡の「帰田賦」である
ことが確定的になったことから、
「張衡の『帰田賦』は安帝の
政治腐敗に嫌気がさして田舎に
帰ろうとしている役人の心情を
綴ったもの」
「安の字を持つ帝の腐敗に役人
が嫌気をさす、というのは安倍政権
で起きている構図そのものじゃないか」
といったツッコミを浴びせられている。
ようするに、安倍首相は自分への皮肉
が込められた元号を知らずに自慢して
いるというのだ。
本当だとしたら、こんな間抜けな
話はないので、本サイトも検証して
みた。 すると、細部では解釈が
間違っているところがあるものの、
「帰田賦」の作者である張衡が、
権力の腐敗に嫌気がさして田舎に
引っ込んだ役人であるのは事実
だった。
『後漢書』の「張衡列伝」に
よれば、 張衡は現在の河南省南部
に生まれた。
年少から文才に秀で、天文、陰陽、
暦算などに通じた学者肌の役人と
なった(実際、科学者としても評価
されている)。
「才は世に高しと雖も、而れども矯尚
の情無し。常に従容として淡静、俗人
と交わり接することを好まず」との
評に従えば、いつも落ち着きを払い、
決しておごることのない人物だった
らしい。
だが、張衡の清廉な精神は腐敗した
権力によって阻まれてしまう。
当時は、宦官勢力が外戚勢力との
権力闘争に勝利しており、
張衡は皇帝に意見書を提出するなど
してその腐敗した宦官専横の体制を
是正しようとした。
だが、そうした抵抗は失敗に終わり、
張衡は自らの立場を危くしてしまった。
ただし、相手は、ネットで言われ
ているような「安」の字を持つ安帝
ではなさそうだ。
『後漢書』によれば、張衡は安帝
(6代皇帝)のときに都・洛陽に
呼ばれて大史令という官僚知識人
の地位をあたえられる。
順帝(8代皇帝)の頃に再び大史令
となる。
前述の意見書を上奏した相手は 順帝
であり、「帰田賦」もその 時代に
書かれたものだ。
■「令和」考案者・中西進氏は
護憲運動にも関わっていた
ようするに、
「おれは国書を典拠とする元号を
つけた初めての総理だ」と悦に
入っている安倍首相だが、実際は、
自らの政権とそっくりな不正と
忖度官僚の跋扈を嘆いた中国の
役人の言葉を元ネタとする元号
をつけてしまっていたのである。
そんなところから、この「令和」
という元号名が実は
「安倍首相への皮肉とを込めて提案
されたものではないか」などという
憶測までとびかっている。
「令和」の考案者が護憲運動にも
関わったことのある文学者・中西進氏
であったと報じられていることも
この説の拡散に拍車をかけている。
まあ、さすがにそれはありえない
だろうが、しかし、今回の新元号制定
で改めてはっきりしたことがある。
それは、安倍首相が押し出す
ナショナリズムがいかに浅薄で
インチキなシロモノであるか、
ということだ。
「令和」の大元ネタがどうという以前に、
そもそも日本の古典文学は、
基本的に中国や朝鮮の影響下でつく
られているものであり、
いくら「国書典拠」を強調したところで、
日本固有の文化、中国排除などできるはず
がないのである。
それを、皇室の伝統を排して「国書典拠」
などというのは、無教養とバカのきわみ
といっていい。
しかし、そのバカ丸出しのインチキが
何の問題にもならずに、
正論として通用してしまうのが、
いまの日本の状況なのである。
新元号「令和」の大元ネタの 作者・張衡の
「思玄賦」にはこんな 一節がある。
〈折り合わないことなどは、本当の憂い
ではない。真に悲しいのは、多く の偽りが、
真実を覆い隠してしまうこと である。〉
(小杉みすず)
■主な参考文献 『新釈漢文大系』81巻
(明治書院) 『後漢書』列伝7(岩波書店)
鈴木宗義「張衡「帰田賦」小考」
(「国学院中国学会報」2005年
12月号所収)
富永一登「張衡の「思玄賦」について」
(「大阪教育大学紀要」1986年
8月号所収)
【転載終了】
*************************
安倍晋三が保守派と思い込んでいるのは、
ネトウヨぐらいでしょう。
保守派に言わせると、安倍晋三は正当な
保守ではなく、似非保守だそうです。
0コメント